ROPÉのクリエイティブディレクター齊藤 智が「ここのニット工場はすごい」とイタリア在住時から注目していたという米富繊維株式会社。自社ブランド〈COOHEM(コーヘン)〉では編み地の開発技術をデザインに落とし込んだユニークなニットを展開しています。
2024年8月、齊藤の「工場を訪れてみたい」という念願が叶い、山形県の南東部に位置する山辺町へ。自然豊かで静かな時間が流れるこの地でニット産業が行われてきた理由、そして米富繊維の歩みとは。
〈COOHEM〉とROPÉのコラボレーションアイテムについても、米富繊維株式会社代表でクリエイティブディレクターの大江 健氏に話を伺いました。
米富繊維株式会社
1952年に創業したニットメーカー。ウィメンズとメンズニットの企画、製造、販売を行い、自社内にニットテキスタイル開発部門を有する。OEMとODMを請け負い、さらに〈COOHEM〉他2つの自社ブランドを展開。山形にニット工場と本社を構え、2022年にはコンセプトストア「Yonetomi STORE」を初の直営店としてオープン。ローゲージ主体の生産キャパシティを有し、複雑なサンプルを修正しながら編み進める技術と同時並行して量産できる体制を誇る。

ニット産業の町、山形県山辺町で
〈COOHEM〉ができるまで
ROPÉ クリエイティブディレクター 齊藤 智(以下S) 大江さんの祖父の世代から代々継がれてきた米富繊維。大江さんは3代目となる社長ですが、この地でニット産業が盛んだった理由な何だったのでしょうか。
米富繊維株式会社代表 大江 健(以下O) 山形で戦前より飼育されていた羊から羊毛が取れたので、創業当時は毛を刈り取って手紡ぎで毛糸にし、天竺編みのプレーンなセーターを手編みで作っていました。それが、米富繊維の始まりです。
ここは、ニットで有名なスコットランドやアイルランドのように冬は雪が深い地域なので、セーターはファッションというよりも、生活の道具。もともと山形県は資源があまりなく、戦後は特に、もの不足だったそうです。第一次大戦の後、日本政府は北海道と山形県の住人に、羊の飼育を奨励したそうで。軍服はウール製だった背景もあり、戦時下は資源を海外輸入できなくなる。軍事需用の意味も兼ねていたのではないでしょうか。高度経済成長とともに、日本の繊維産業も成長していき、私が小学生のときは巨大なニット産業の町でした。
S おじい様の時代は手編みセーター、それからお父様の代で高精度のニットマシーンが出てきたと。
自社ブランドの〈COOHEM(コーヘン)〉はどのようにして始まったんですか。
O 〈COOHEM〉は2010年に始めた、米富繊維のプログラミングする技術にスポットを当てたファクトリーブランドです。ブランド名は造語なんですが、糸が交わって編むこと、つまり“交編(こうへん)する”から名付けました。「見たことがない素材、ニットマシーンでこんなアイテムが作れるんだという驚きを伝えたい」という思いを込め、裏テーマはThis is not a Sweaterでした。古着などを参考に、ニット以外の洋服の要素を抽出し、テキスタイルデザインを行い、ニットマシーンで作る。ブランドの顔とも言える、ツイードジャケットもそうです。普通のセーターは一切作らないまま、ここまで来ました。
S 米富繊維の公式HPで〈COOHEM〉の写真を見るたびに、いい意味で特殊で、ここでしか作れないだろうと思っていたんです。ニットマシーンはどんどん改良されていて、どの工場も綺麗な整ったものを作る技術は上がっていく。それに反して、〈COOHEM〉は凹凸があって全然違う匂いがするものを作る個性的なブランドという位置付けでした。服作りをしている側からすると、デザインのスタート地点と何に苦労してでき上がったのか、ものを見た時に何となくわかるんです。でも〈COOHEM〉は全然わからない。何を目指して生まれてきたものかを理解するのが難しいんです。とてもミステリアスで。それを良しとするのが米富繊維さんの魅力だし、新しさであり、面白いところですね。コンセプトもそうですが、「これが完成だ」と工場の中で共通認識があり、商品として成立させてしまう力があると思っています。大江さんは、なぜデザイナーになったのですか。

O 実は、会社を継ぐつもりはなかったんです。上京して大学と専門学校を卒業し、前職は東京のセレクトショップでメンズスーツの販売をしていました。外からどんどん工場が縮小して行くのを見て考えが変わって。30歳で新規事業を立ち上げるために、山形へ戻ってきました。当時、セレクトショップは急成長していて、自分も仕事に慣れてきて、メンズのドレスクロージングのテーラリング部門を任されていました。イタリアやフランスのファクトリーブランドの取り扱いもあり、「なぜ、日本の工場だけが潰れていって、同じ工場なのにヨーロッパはこうも違うのか」と思うようになったんです。それまで米富繊維はOEMだけの工場でしたが、父に「これからは工場が発信していかないと生き残るのは難しいと思う」と伝えました。父はいわゆるアメカジ親父で、服好きだったので、提案を反対されることはありませんでしたね。それがあって〈COOHEM〉が生まれ、デザイナー業をすることに。
S すごい。未経験のまま、販売からデザイナーになかったのですね。常にチャレンジしているとは。
O デザイナーはしたことがなかったので「このテキスタイルにあのデザインを合わせたら、あのお店に置けそう」「こんな服をつくったら面白いんじゃないか」という発想でのものづくりを始めました。古着や自分の私物を見せて説明して、そんな無理難題を形にしてくる人たちが工場にいたんです。興味が先立って、カウチンやライダースジャケット、ステンカラーコートもニットで作って。ただ、“本来ならこうあるべき”というオーセンティックなデザインは大切にしていました。ブレザーを作る時も、ブレザー然とした縫製で作る。このフックベントがないと困るとか、一つ一つポイントを共有します。とはいえ、ニット工場の設備なのでできることとできないことはあるけど、何かしらの方法で再現するようにしています。
S それを手間がかかるで切り捨てたら途絶えていたもの。大半の工場は、面倒臭くてやらないことをしていると思うんです。頼んでも断られると思う。ものづくりをする人間として、そういった米富繊維さんの妥協しない姿勢が一緒にものを作りたいと思った点でもあります。
O ニットでジージャンを作るときは、ネオバーという専用ボタンでないと意味がないと。糸を切らないと取り付けられないので、別注でニット用のネオバーを作りました。取り付け方は、ネオバーを埋め込む前に、編み目を人が手で埋めて、芯地を噛ませて滑脱しないようにしました。現場の皆さんの創意工夫がないとできないことです。これは、同じ空間を共にして働いているからこそできると思っています。編機の前で、ダイレクトにコミュニケーションを取り、いい解決方法を一緒に探していく。折れてデザイン変更することもありますが。その繰り返しで、一個一個作れるアイテムが増えていった十数年間でした。

デザイナーとしてふたりが服作りで
大切にしていること
O 元JUNのチーフデザイナーで、引退後はニットブランドをされていた小池のり子さんが言っていたんです。80年代のデザイナーたちは、山形に一週間泊まり込んで服作りをしていたと。僕らが日常でしていることが当たり前だったそうです。インターネットもない時代だったというのはあると思いますが。昔は当たり前に「作る人たちと一緒にある」というスタンスだったんです。デザイナーだけでなく、繊維商社などいろんな先輩方が口を揃えて言っています。なので、現場でデザインするスタイルでやっていくことはブランドをやる前から決めていました。本社も住まいもこっち。うちでデザイナーをやりたい若い人たちはみんな、引っ越しします。
S 同じ地域で暮らすもの同士の言語があるはず。きっと東京にデザイン事務所があったら、かみ合わないでしょうね。東京にいる側はエネルギーと時間をかけているつもりでも、いいキャッチボールにならないはず。
O ものづくりは「会いに行く」ことを基本としています。糸を作るときは一宮の工場へ、カシミアの糸を作るなら大阪の紡績工場へ向かいます。自分たちも工場だからわかるんです。工場まで出向いてくれるデザイナーがいると「わざわざ来てもらって」といって出迎える、田舎の人らしいですよね。うちで働く人たちも例外ではありません。仕様書だけもらえば商品はできますが、コミュニケーションが一番大事。顔を合わせた瞬間、人は優しくなって話に耳を傾けてくれるんですよね。もちろん、自分が逆の立場になることもある。糸の工場さんには、「自分はこういう考えでこの糸を作りたくて、これからも定番で作っていくつもりだ」と思いを告げるようにしています。糸屋さんは減ってきていますが、今残っている工場はどこも何かしらのスペシャリストで大事な仕入先です。こうしたコミュニケーションで、いろんな面白いものが生まれてきたと思っています。
S わかります。仕入先があってブランドができている。さらに、ここにしかない風土と時間の流れがある。一宮にも和歌山にもそれぞれあるわけで。東京からここに来させて、直接お話しして現場を見せてもらうこと。そこで働いている人に会って、若い人がこんなに働いていることを知る。私も、普段から工場さんをまわりますが、機械がたくさんある工場はたくさん見てきました。でもここまで、人がいた工場は初めてかもしれないです。異なる工場で同じ機械を使って作っても、違うものが上がってくるというのは、やはり、ものづくりは人によるものなんですよね。
Noise in Color、
〈ROPÉ〉×〈COOHEM〉コラボレーション
S 今季のテーマは「Noise in Color」。ベルベット チェック ツイード ジャケットは、初めて見た瞬間に自分のイメージした雑みに当てはまったんです。そこから、ベーシックなチェック柄のパターンを応用化するアイディアを出して。ちょっと見にくいですが、横と縦のラインを残しつつ、横の線が強いチェック柄にしてノイズを生んでいます。ざわざわしたもの、ピクセル感を生地で表現したかったんです。入っている色が違うから視覚的に凹凸が生まれる。違う種類の糸を混ぜることで立体感や変わった風合いが生まれていった。これだけの糸数と色数を使って複雑なものを作る工場はないと思っています。それを、いいとか悪いとかジャッジするのも大変ですし。「これってどうなっているんですか?」と質問したり、「こういう柄できますか」と相談すると、新しいものが生まれます。
O そういうやり取りが楽しかったですね。まずは、クラシックなコートだけどノイズがあって、シンプルに見えないようにしたいとリクエストがありました。
S 色が大事だったので、米富繊維さんから色の組み合わせもたくさん案を出してもらって。近くから見ると柄に見えないけど、遠くからだとクラシカルな柄がしっかり見えるノイズパターンという柄を作りました。ベルギー絨毯のように大きな柄で目があって織られている、そういうものを目指しました。ピクセルっぽいけど、誰もが見たことがあって知っている柄。色は秋の色を感じられる色調の中から選びましたが、「今年はきっと暖かい秋になるだろう」と思い白が入ったものを選びました。自分のアイディアが、これだけ思い通りに表せたことに驚いています。

O このコートの原型は少し前の商品なんです。このアイテムを作ったことで、ちょうどいい塩梅の糸のゲージと機械の組み合わせを見つけたのを覚えています。薄手だけど張りがあって柔らかい。コート向きの生地ができたと思ったんです。最近は気候的に重衣料は人気がないので、薄手がちょうどいいですよね。以前作ったときはチェック柄でしたが、齊藤さんのリクエストでヘリンボーンに生まれ変わりました。
S 一緒にコラボレーションをする中で印象的だったのは、サンプルとしてスワッチをたくさん作って送ってくださるんです。普通だと1、2個あれば十分ですが。クオリティが高いし、想像範囲を超えたものが上がってくる。それに、「どれ選んだらいいんだろう」というわくわく感があるんです。自分もこの熱意に応えたいと思いましたね。
O ツイードジャケットは、柄のベースはオリジナルと同じです。同じ素材で色だけ変えるか、ちがう素材で色を変えるかで、よりツイード調になるのかニット調になるのか、風合いが変わるんです。ニットでツイードという時点で変わっているアイテムなので、ずっとこの原型を生かして何か作りたいと思っていました。今回はもともとあったクラシックなツイード調のパターンに、糸と色を加えてノイズを生んでいく。ツイードをニットで作る長所は、軽くて織物より伸縮があるので体にフィットすること。珍しいという付加価値もありますし、何より着やすいと海外でも人気のアイテムです。
S クレイジーアランニットは、スタッフ全員が一目惚れしたアイテム。あんな複雑なデザインは作れない(笑)。別注色としてシーズナルカラーのピンクを。買い付け分では生成りとネイビーの2色も展開しています。アーカイブを見せてもらったのですが、あるもので十分すぎる。今回、採用できなかったものでもいいものがたくさんあったんです。もっと大江さんと一緒に仕事がしたいですし、次のステップに行ってみたいと思いました。
米富繊維の3つのブランドと
コンセプトストア
S 〈COOHEM〉の他に、2つブランドを運営していますね。
O 2番目にできたブランドが〈THIS IS A SWEATER.〉。〈COOHEM〉の裏テーマ(This is not a Sweater)と対照的にセーターしか作らないブランドです。男女の展開、サイズ、カラー展開が豊富で、プロダクト一つ一つにテーマがあります。ずっと継続して販売したいと考えており、スタートから5年経っても、まだ3シリーズしかないんです。

S それはまた、全く別の方向性ですね。3番目のブランドが、2020年に始めた〈Yonetomi〉ですね。
O これは、完全なベーシックライン。このブランドについては、コロナ禍がなければ生まれなかったと思っています。パンデミックの間でも受注があった商品です。ああいう状況下でも買いやすい価格帯で、ユニセックス。コンセプチュアルでなく、シンプルでデイリーなアイテム。Tシャツなども開発し、オンラインとポップアップで好評でした。ここ3、4年は、ブランドごとに期待されているものって違うんだなと分かってきました。
S 2022年にはコンセプトストア「Yonetomi STORE」をオープンしています。山形に住んでいる人はもちろん、県外からも買いに来るファンがいると伺っています。
O 山形ではベーシックなものが売れると思っていたんですが、山形県人だからといってみんなおとなしい服装なわけではなかったんです。他にはない感じや手がかかった感じがいいと言ってくださる方もいっぱいいて。卸売メインなのでベーシックなものは売れるわけですが、自分でも着てみて、毎日ベーシックは確かに飽きると思って納得して。〈COOHEM〉は毎回新しいもの作っているから、作るのは苦しい。でもその甲斐あって、自分でも新鮮に見ることができたり、着られたりする。こんなことができる会社なんだと(笑)。一つのブランドだけをやるのはしんどいけど、3つのブランドが補い合っていると思いますね。最近は大物だけでなく、ベーシックとの間にある丁度いい塩梅を探っています。
S お店もファッションも楽しいのが一番。〈COOHEM〉のファンに〈Yonetomi〉をお勧め出来ますし、逆パターンの流入もありそう。そういったクロスオーバーがあって、米富繊維の魅力にはまってくれたら嬉しいですよね。尖ったものを作っても、米富繊維には人に魅力を伝えられる力があると思っています。やはり服には、瞬間的に人へパワーを与えられないと!
