SPECIAL SHORT ESSAY

SPECIAL SHORT ESSAY 女を育む、服

エディター・ライター 松本 千登世

ESSAY 12

肌がアクセサリーになる、女たち

ある女性誌のファッションページ撮影でのことだ。胸元が深くVに開いたシルクサテンのノースリーブトップスに、サマーウールのメンズライクなワイドパンツ。余計なものを一切排除したような、上下黒のシンプルコーディネイトが、モデルの存在感をさらに際立てているみたい。「どう撮る?」と男性カメラマン。ああでもないこうでもないと、スタッフでさんざん話し合った結果、ソファに寝転ばせて撮影することに。思わずため息が漏れるほど、艶っぽさが溢れ出す。なんて綺麗なんだろう! これで決まり、そう思っていた矢先、「トップスを替えたパターンも撮ってもらっていいかなあ?」と女性スタイリスト。ソファに寝転んでいる姿とVの開きに、どうも違和感があって。それが理由だった。

正直、写真として、それはとても完成度の高いものだったと今も思う。でも……? 実際、トップスを、同じ黒ながら鎖骨に添うボートネックに替えたら、確かに印象ががらりと変わった。夜のシーンから朝のシーンへ、男性がはっとさせられる女性から、女性もはっとさせられる女性へ、そう言うとわかりやすいだろうか? 結果、全員一致で、あとで撮り直した一枚に決定したのだ。

壁際にすとんと立って撮影するのであればきっと、深いVネックも美しかったと思う。凛とした立ち姿が、女度をうまくマイナスしてくれるから。でもソファに寝転んだ途端、深いVネックが女の濃度をぐんと引き上げ、見え方が「トゥーマッチ」になったのだと思う。ああ、肌見せって、難しい。いつでもどこでも「許される」時代だから、なおのこと、難しい。改めてそう痛感させられた。

朝なのか夜なのか、会議なのか食事なのか、東京なのかハワイなのかで、肌の見せ方は大きく変わる。厳密に言えば、フレンチなのかお寿司なのかによっても、微妙に変わるのだと思う。少し間違うだけで、「抜け感」のつもりが「だらしなさ」になったり、「色気」のつもりが「安っぽさ」になったり、逆に「きちんと」のつもりが「堅苦しく」なることだってある。清潔感と品と艶を知的に計算して初めて「華」になる。そう、肌をアクセサリーにできる人は、やっぱり極上なのだ。

ロペ マドモアゼルの鎖骨の骨感とデコルテの肌感をバランスよく見せる美コルテニットも、朝と夜で表情をがらりと変える2WAYニットも、纏うとわかる。ピアスもネックレスも、むしろいらない。肌そのものをアクセサリーにしたい……そう思わせる絶妙な計算がなされているってこと。まさに、ロペ マドモアゼルのニットは、肌見せの天才なのである。

「見せすぎは痛々しい、隠しすぎは息苦しい。どちらも、『華』から遠ざかるのよね」とは、冒頭の女性スタイリストの言葉。見せすぎてもいけない、隠しすぎてもいけない、もう一度考えたい、大人の肌見せ……。

松本 千登世

松本 千登世CHITOSE MATSUMOTO

客室乗務員、広告代理店や出版社勤務の経験を経た後、フリーランスの美容ライターに。
自らの経験をもとに語られる、エッセイや美容特集は常に世の女性たちの注目を得ている。
著書に、『美人に見える「空気」のつくり方 きれいの秘訣81』(講談社)や、
『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。今日も「綺麗」を、ひとつ。』(講談社刊)などがある。