SPECIAL SHORT ESSAY

SPECIAL SHORT ESSAY 女を育む、服

エディター・ライター 松本 千登世

ESSAY 02

プロファイルされる、女たち

「私ね、『服』から女性をプロファイルして、演じているんです」。

ある女優の方にインタビューしたときに飛び出したひと言だ。ずば抜けた演技力ゆえ、どんな役にもなりきる「憑依型女優」として、つとに有名。ドラマに映画、舞台、コマーシャルと活躍の場は多岐に及び、あれだけ広い役を難なくこなす、その役作りの秘訣は何ですか? そう問うたところ、返ってきたのがこの言葉……。想定外の答えに正直、驚かされた。年齢や職業、家族構成や暮らす家など文字にできるプロフィールはもちろん、演じるうえでの重要な決め手。ただ、それだけでは、「その人」の本質は決して見えてこない。そこで、役柄のために用意された服や小物を見て、とことん想像するのだと彼女は言った。「このバッグを持つ人は、こんな仕草をするだろう」「この靴を履く人は、こんな行動を取るだろう」そして何より、「この洋服を選び、着る人は、こんな性格に違いない、こんな考え方に違いない、こんな笑顔に違いない、こんな声に違いない」……こうして存在そのものの奥行きに思いを巡らせ、ひとりの女性を具体的に形作るのだ、と。服って面白い。服って深い。この言葉をきっかけに、改めて、服というものについて考えさせられた。

思えば、私たちは、無意識のうちに服で人を判断している。端正なワンピースを着ていると丁寧に暮らしていそうと思うし、かっちりとしたスーツを着ていると仕事ができそうと思う。鮮やかな色を選ぶ人に溌剌とした表情を思い浮かべ、とろんと柔らかい素材を纏う人に女っぽい声を思い浮かべる、といった具合に。服はその人の本質を如実に語り出す。それは裏を返せば、服で自分の見え方をコントロールできるってこと。それなのに……私はどうだっただろう? 「こんな人と見られたい=こんな人でありたい」を服に込めていただろうか? 「この形、楽」、「この色、便利」と自分らしさや着心地のよさを言い訳に、服をぞんざいに扱っていなかったか? 急に後ろめたい気持ちになった。もう一度、服とまっすぐに向き合いたいと思う。大人として、女性として、もう一度。

ロぺの服に触れると、その向こうに具体的な女性が見える気がする。たとえば、仕立てがよく女性の体のカーブに寄り添う美しい「ジャケット」、なのに「カーディガン」みたいに軽くて動きやすく、手に持ってもバッグに入れても型崩れしにくい「カーディージャケット」。この服を着る人は、つねにすーっと背筋が伸び、凛とした表情をしているだろう。この服を着る人は、立つとき、歩くとき、座るとき、そのたび軽やかでしなやかな動きをし、ふわりと笑顔を湛えているだろう。見た目はきちんと、そのじつストレスレス。そんな一枚を選び取る女性はきっと、人と服が一体化して、今という時代の空気の中で美しいに違いない……。そして確信するのだ。この服を着る人は、生きる姿勢が美しい人。私もこう見られたい、私もこうありたい、って。

ちなみに、冒頭の女性がスタジオに現れたとき、余計な装飾を一切排したシンプルなファッションに身を包んでいた。まるで「どんな役の色にも染まります」という彼女の本質を表すかのように。演技の幅広さと、存在のピュアさ。服を思い出して、その人となりに妙に合点が行ったもの。

今日の服は今日の自分。だから、これからは、姿勢から美しい人、生き方が美しい人、そう見える服がいい。服が自分に乗り移ると信じて。
カーディージャケット
松本 千登世

松本 千登世CHITOSE MATSUMOTO

客室乗務員、広告代理店や出版社勤務の経験を経た後、フリーランスの美容ライターに。
自らの経験をもとに語られる、エッセイや美容特集は常に世の女性たちの注目を得ている。
著書に、『美人に見える「空気」のつくり方 きれいの秘訣81』(講談社)や、
『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。今日も「綺麗」を、ひとつ。』(講談社刊)などがある。